SALABO’s diary

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iPhoneの何が凄かったのか。

本当の初代のiPhoneではなく、日本での初代、iPhone3Gについて語ります。

まず前提として、知らない人もいるので一応言っておくと、androidiPhoneの数年後に出たパクリです。

 

 

 

■デザインが良かった

センスの悪い人はセンスの悪さに無自覚だし絶対に認めないので言い方を変えよう。

 世界レベルのデザイナーの多くが、センスが良いと認めるデザインだった。

 

もっと分かりやすく具体的に言うと、圧倒的にシンプルで、素材が良かった。

そういった事を目指したガラケーも2~3個だけあったが、(アンニンはいい線行ってた)、それでもiPhoneとは次元が違った。

iPhone3Gは約半分が画面のガラス、もう約半分は凹凸のない綺麗なプラスチック、残りは金属で出来ている。

この素材の構成だけでガラケーとは次元が違う。特に金属が使用されているのが分かりやすくガラケーとは違った。

ガラケーの画面以外の素材は、凹凸のあるプラスチックに”メタリックやパールやラメの塗装”をした無様な物だった。日本のデザイン全般にはびこる無様な塗装に頼るデザインは日本のデザインのダサさの象徴であり、原因だと思う。

 もっと言えばアンテナがある機種もまだ多かったんじゃないかな?

 

 

■写真アプリの存在

撮った写真やその他の入れた画像が大画面でずらっと一覧で並ぶ。それすら当時は(ほとんど)無かった!

 

 

■ネットブラウザの存在

iPhone3Gの機能は貧弱だったが、それでもそれなりにネットブラウジングが出来た。

ガラケーでもそれなりに出来るものもあったのでこれ自体が圧倒的なアドバンテージでは無かったけど、ガラケーとは違うPC基準でのネットブラウザの始まりだった。

 

 

■アプリの存在

ガラケーでもアプリ的な物はあったが、元から入っている公式アプリと同様の手間で同じレベルで使用出きるアプリがどんどん追加出きる物では無かった。とにかく使いにくく、あくまでも擬似的なアプリに過ぎなかったし、世界中のプログラマーが新しいアプリをどんどん作ってくれる様な状況などある訳がなかった。

 

 

■自由な(無料の)ネット利用

それまでは天気予報や占いですら月額課金だった。

アプリの存在やネットへの接続がいかに不自由だったかがこれで伝わるだろうか。

個別の追加の利用料はなく、ネット接続基本料のみでネットに自由に接続出来るのはiPhoneが初めてだった。

 

 

■地図アプリの存在 

大きな画面の圧倒的な操作性で地図を見る事が出きる。使うことが出きる。この利便性が大きかった。

 

 

■ミュージックアプリの存在

CDの音源をデータ化した物をどんどん突っ込んで聞く事が出きる。

今では当たり前の事がそれまでは出来なかった。

 

  

■イヤホンジャックの存在

 ガラケーにはイヤホンジャックが無かった。

独自のアダプターを付けないとイヤホンが繋がらなかった。

しかし当時のガラケーは自由に曲を入れる事すら出来なかったので、イヤホンを付けて曲を聴くニーズ自体があまり無かったかもしれない。

 

今は逆にiPhoneのイヤホンジャックが廃止されてしまったけど、Bluetoothが普及している今とは状況が違う。当時のイヤホンジャックは圧倒的な優位性だった。

しかし今もイヤホンジャックは絶対にあったほうがいい!復活を望む!

 

 

■動画再生の性能

動画を入れて大画面の見る事が出きる。映画をまるまる1本入れる事が出きる!

YouTubeを見る事が出きる!

今では当たり前の事がそれまでは出来なかった。

 

 

■スピーカーの存在

音楽や動画を他人に聞かせたり見せたり際するにはイヤホンが必要だったが、iPhoneではスピーカーで聞かせる事が出来た。

大画面とスピーカーで手軽に友達と共有出来る、これは大きかった。

今では当たり前の事がそれまでは出来なかった。

ガラケーにはまともな音量のスピーカーが付いていなかった!

 

 

■OSの存在

OSをアップデートして機能がアップする…  だと!

バッテリー消費まで改善するのだから驚愕だった。 

 

 

■PCとの同期

PCと同期する事によって音楽や動画や画像のデータを入れる事が出きる!

バックアップも取れる!

今では当たり前の事がそれまでは出来なかった!

 

 

上記の様々な機能を大画面とマルチタッチで使えた!

それまでのタッチパネルは感圧式だった。

ビニールみたいな画面で画質は超悪かった。

ガラスの綺麗な画質で指を滑らせる、なんて事は全然出来なかった。

それまでのタッチパネルとは綺麗さと使いやすさが全然違った!!

 

 

 

 

 ■あとがき

ざっと思い出して書き出してみました。

個別の機能については、ガラケーでも実現している事も少しはあると思うけど、これだけの事が全部出来たiPhoneは圧倒的だった。

 

それまでのガラケーはPCとは全く別物だった。例えばFAXとPCみたいな関係で、全く違う物だった。

ガラケーがPCの真似事をしてごくごく部分的な機能を実現する事はあっても非常に限定的だし制限ばかりで根本がPCとは違った。

しかしiPhoneはPC目線だった。

同期や自由なネットやOSやアプリ、それらの存在が、考え方が、それらの自由さが、それまでのガラケーとは全く違った。

AKIRAの凄さを今の若者が理解出来ないのと同じ様に、それが当たり前に普及した今では、当時の凄さを伝えるのは難しい。

 

アメリカで初代iPhoneが発表された時、日本で初めてiPhoneが発売された時、おれは歓喜した。

3Gの発売から数年してiPhoneが流行り始めた当時、未だに「iPhoneスマホ)はただの流行りでいずれ廃れる」みたいな事言ってるバカが沢山いた。

馬車の次に車が普及して世界が変わったのと同じ事が起こったのに、それに気付けない。

その圧倒的なセンスの無さは哀れだ。

 

 

これの回答として書きました。

anond.hatelabo.jp

EM菌への理系としての態度

 以下、記事でEM菌について書いてある。

今更のネタだけど、理系の自分が考えるEM菌への態度を記します。

 

dimofsoul.mitona.org

 

 

 

先ず前提として、EM菌を池や川に撒く行為に関して有益だとする科学的根拠(実験結果)が無い上に、むしろ有害だという意見があるという事です。

有益が有害か分からない事に対して「どちらか分からないから"いいじゃん"」は通りません。

「有害かもしれない」時点で、行うべきではありません。

 

次に、実態としてのEM菌について。

上記ブログでは、

(子供に対して)『「有るかもしれないし無いかもしれない」ことを伝えた上で、その見分け方を自ら見極める方法を伝えるのは、とても意義のあることだと思います。』

とあり、それは論理的にはというか、理想としてはその通りだと思うのですが、現実としてはEM菌は有益と信じた人が有益である前提で活動しているのが実態です。

疑義のある事に対する態度を教えるのは是非行うべきですが、EM菌に関してはちょっとお題としては危ないのではないでしょうか。実際、有益か有害か分からない段階でこれだけ広がってしまっているのだから、この手のものはそういう"魅力"がある訳で、そういう物の有益とする意見を伝える事でむやみに信者を増やしてしまう可能性があります。

それは現時点では(特に子供に対しては)「有害かもしれない」時点で、行うべきではないと思います。

 

例えば、良くない事と前置きしたとしても、爆弾の作り方を公にしないのと同じ様な事で、わざわざ教える必要は無いのです。

 

なので、EM菌を信じる方は、有益であるとはっきりしない限りは環境や他人の体に影響しない範囲に限定して扱うべきだと考えます。

コミュニティ(格差)の断裂

http://anond.hatelabo.jp/20170514161530


それぞれのコミュニティ常識全然違う。

富裕層貧困層実態を知らないし想像も出来ないのと似たようなものだ。

世の中にはエグザイルを「好きなのが常識(前提)」なコミュニティもあるし、「嫌いなのが常識(前提)」なコミュニティもある。

それらは全く意識せずに全く接点が無いから、意識しないと全体像を見誤る事になる。

左翼が嫌われる理由

togetter.com

 

『ニッポン人の「左翼憎し」はホントになんなんだろって思う。』という事だが、自分なりに左翼が嫌われる理由を考えてみた。

 

まずその前に、日本人の過半数「左翼憎し」なのか、というのはちょっと疑問があるというか実感が無い、という感じがする。

マスコミの多くは左翼だし知り合いと政治的な会話はしないから、自分の印象では左翼優勢というイメージがぬぐいきれない。選挙結果をみれば確かにそうなんだけど…実際はどうなんでしょ…?

 

 

さて、左翼が嫌われる理由だが、自分なりの結論は、

「論理的じゃない・根拠が無い」から、ではないかと思う。

 

なぜ「論理的じゃない・根拠が無い」左翼がいるのか。その理由は多くきく2つあると思う。

 

 

 

一つは、反日

表向きはどうであれ根本が反日だから、日本人に反日を説くのはそもそも無理な訳で、論理破綻を招くか嘘をつかざるを得ない。

 

 

もう一つは、「バカ」

バカだからよく分からずになんとなくの感性で左翼になっちゃったパターン。

理屈じゃ無い。ただただ自分の信じるものを信じる。それだけの人。

ただし自覚はないので、左翼を正当化する理屈にならない理屈を鵜呑みにしていて、それが自分では論理的だと思っている。

都合の良い情報だけを信じてその他はデマだと思っちゃう、盲信しちゃってる人たち。

右翼(極右)にも同じパターンがある。

 

 

 

こんな所ではないだろうか。

だから、左翼は議論出来ない。

高いレベルの議論では左翼は絶対に勝てない。

メディアで偉そうな事を言っている左翼も、右翼や(国際標準の)リベラルとの公開討論はしない人が多いし、討論しても論点ずらしなどではぐらかすばかりになってしまう。

YouTubeとテレビ

今はまだユーチューバーは素人集団という印象があるけど、(特に新規の)演者とスタッフの両方がどんどんYouTubeに流れていって地上波と規模が逆転する事もあり得るのではないだろうか。

 

そうなったらマスコミが意図的に世論を動かす影響力も減って、放送法を改正するまでもなく、日本のメディア事情(マスコミが世論をミスリードする現状)が改善されるのではないだろうか。

 

それは中々にワクワクする未来像だなぁ。

国語の問題の謎ルール

もしかしたら今は違うのかもしれないけど、おれが中学・高校の時の国語の問題で、「○○文字以内で答えよ」という時に、文字数が少な過ぎてもダメという謎ルールがあって無意味に文字数を増やさなければならない時があった。

 

なんなのあの無意味な作業(ルール)。

 

理系のおれとしてはその度に心底辟易していた。

「こんな事だから文系はバカなんだよ。」とか思ってた。

 

若い頃からこういう無意味な事を強制され続けた事によって、効率を求める精神とか「なぜ・何の為にそれをするのか」という本質を考える能力を削ぎ落とされて日本の労働生産性の低さが醸成されたんだろうな。

 

「安全・安心」と成熟した民度

豊洲の問題に関する議論に於いて、「安全・安心」について触れられる事が多いが、その際に必ず到達する結論として「科学的に安全であるだけでなく、気分的な安心というのも必要」というものがある。

 

例えば、先日放送された番組で橋下徹氏もその様に言っていた。

彼は政治家の立場で現実問題として必須であると言っていたのかもしれないし、それであればその通りだと思うが、しかし明確にして欲しい事がある。

 

本来は「安全=安心」だと言う事だ。

理想は「安全=安心」であり、それが一番合理的なのである。

それが達成されれば行政は最も無駄がなくなり、それが最も成熟した民度というもののはずだ。

下らない噂話や感情論に振り回されて無駄な事をして税金を数千億と無駄にするのは今すぐにでもやめなくてはいけないのに、なぜそれが出来ないのか。

 

マスコミは視聴率のために問題を作り出し煽るのをやめろ。

政府は民度の低い国民やマスコミに合わせた偽善をやめろ。

論客達は圧力や空気に負けていい加減な事を言うのをやめろ。

 

言うべき人が言わなければ、やるべき人がやらなければ、いつまでたっても良くならないではないか。

 

早くこの国の民度が成熟してくれる事を切に願う。