「安全・安心」と成熟した民度
豊洲の問題に関する議論に於いて、「安全・安心」について触れられる事が多いが、その際に必ず到達する結論として「科学的に安全であるだけでなく、気分的な安心というのも必要」というものがある。
例えば、先日放送された番組で橋下徹氏もその様に言っていた。
彼は政治家の立場で現実問題として必須であると言っていたのかもしれないし、それであればその通りだと思うが、しかし明確にして欲しい事がある。
本来は「安全=安心」だと言う事だ。
理想は「安全=安心」であり、それが一番合理的なのである。
それが達成されれば行政は最も無駄がなくなり、それが最も成熟した民度というもののはずだ。
下らない噂話や感情論に振り回されて無駄な事をして税金を数千億と無駄にするのは今すぐにでもやめなくてはいけないのに、なぜそれが出来ないのか。
マスコミは視聴率のために問題を作り出し煽るのをやめろ。
政府は民度の低い国民やマスコミに合わせた偽善をやめろ。
論客達は圧力や空気に負けていい加減な事を言うのをやめろ。
言うべき人が言わなければ、やるべき人がやらなければ、いつまでたっても良くならないではないか。
早くこの国の民度が成熟してくれる事を切に願う。